創業は大正15年(1926年)。
納豆づくりに始まり、大豆加工品へと
商品分野を広げてきた100年の歩みは、
美味しい食品づくりへの想いを貫いた歴史でした。
富岡食品の長い歴史は、町の小さな納豆屋さんから始まりました。
当時の納豆は、稲わらに付いた天然の納豆菌を利用したわら納豆。
創業者は、季節や天気の影響を考えながら丁寧に発酵させた納豆を背負いかごに入れ、
深谷の町で引き売りしてお得意様を増やしていきました。
2代目の納豆と同じ原料を使用した豆腐をつくってみたいという想いから豆腐製造を開始する。
初代から受け継いだ美味しい納豆づくりに励む中、「同じ原料を使用した豆腐をつくってみたい」と新たに製造を開始。厳選した大豆を使った木綿豆腐、絹ごし豆腐のほか、胡麻を使った変わり豆腐も手がけました。
日本人の食卓に欠かせない納豆、豆腐の製造で順調に売り上げを伸ばしました。
冨岡セキは、後に富岡食品が直営する「いなり本舗」の富ばあちゃんのモデルとなった人物。現五代目社長は、おばあちゃんのセキがつくってくれた味が忘れられず、いなり寿司専門店を開業したといいます。
販路を広げるため、新たに営業部門を設け、小売業界に売り込みを開始。半年後には地元大手スーパーとのお取引が始まり、より多くのお客様に富岡食品の味を楽しんでいただけるようになりました。
お取引先が広がり、受注が増大したことから新工場(東方工場)を設立し、生産能力を増強しました。
四代目守は、「味付け油揚(いなり寿司の皮)をつくりたい」という想いから、味付け油揚の製造をスタート。砂糖、みりん、醤油で調味した自家製ダレが染み込むようにと、油揚の製法から改良しました。
いなり皮の需要拡大を受けて、味付け油揚専用工場(第2工場)を新設しました。
豆乳製造から油揚まで連続で自動生産できる大型油揚製造プラントが完成。近代的設備による油揚の量産体制が実現しました。
第3工場を設立し、がんもどき専用の量産ラインを構築。豆腐生地に細かく刻んだ野菜や海藻を加えて製造するがんもどきは、ヘルシーで栄養価も高い大豆加工品。そんな食品を多くの人に食べていただきたいと考えていました。
商品アイテムを厳選・集約し、今後は「豆腐加工の揚げ物に特化していく」と宣言。富岡食品にしかできない美味しさ品質を創造し、競合他社との差別化を図ることが目的でした。
家庭の味の原点に戻ろうと、直火炊きいなり皮の製造にプロジェクトを組んで挑戦!機械メーカーの協力を得て試作を開始したものの、量産ラインの構築に悪戦苦闘。2年間テストを繰り返して念願の製品化を実現しました。味がしっかり染み込んだ釜炊きいなりは、大手スーパー惣菜売り場のロングセラー商品になっています。
3年の構想を経て、アンテナショップ「富ばあちゃんのいなり本舗」を開店。定番商品のほか、カレーいなり、イタリアンいなりなど変わりいなりも商品化して話題に。テレビ番組にも複数回取り上げられ、大盛況となりました。富岡食品のいなりの美味しさを多くの方に知っていただく機会にもなりました。
富岡食品は創業から100年の節目を迎えます。次の100年に向かって、従業員の幸せづくり、お客様に喜ばれる商品開発、地域貢献に力を注ぎ、愛される企業へ。